何週間か前にそこまで言って委員会でもやってましたけど、表題の「信じる心」と「疑う心」
これ言い換えると、「人間の本性は善であり、悪は物欲の心がこの性を覆われることで生ずる後天的なものである」と主張する説の孟子(もうし)の「性善説」
「人の性は悪なり、その善なるものは偽(ぎ)なり」という荀子(じゅんし)の「性悪説」と言い換える事が出来るのではないでしょうか?
つまりは人を信じやすい「いい人」と疑ってかかる「疑い深い人」ときっぱり分けれてしまうのではないでしょうか?それはカルト宗教にはまる人と、そうでない人もきっぱり行きそうな気がします。
でも逆に考えると、政治家しかり、カルト宗教の勧誘者は間違いなく「いい人」ではなく「疑い深い人」だと言えるでしょう。
つまり、前記事にもある、「搾取側」と「とられる側」でしょ?間違いなく、、、、悪い言葉で言うと「いい人」は国から税金を当然納税させられて、加えてカルト宗教に献金させられる「倍返し」ならぬ「多重搾取」ですよ!!
献金したお金は政治献金になったり、隣国に送金されたり、、、それを許す日本の法律ってどうかしてます。都合良く「信仰の自由」という言葉を使いカルトと宗教の区別出来ない国、、、お粗末です。
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