前記事 2012年(11年前)
事の発端は、自身の30年前の1993年の海難事故のお話です。
実際には海上保安庁にも通報もされていないし、救助頂いた船舶会社も地元ではなかったので運だけで救助されています。感謝の念は忘れることはありません。
以後、自身は遭難、海難事故は発生させていませんが仲間が海難事故にならぬ様に務めました。仲間が流されてしまえば車で何度も迎えに行きました。陸に戻る事が不可能であれば海上保安庁に連絡し、海上保安庁に迎えに行きました。
それだけではなく、砂浜にて車両がスタックすれば、牽引もしました。それも何度もありました。
生還出来ればいいですけど、生還出来なかった例もあります。
私が現場に居ない時に高校生が数人遊泳に来てた事が有り、自転車はあるものの溺れてしまっていた様で私が到着した際は、レスキュー通報後で結果として帰らぬ人となりました。
親御さんが泣き崩れていた姿が記憶からは消えません。
生還する事がいかに大事かという事。
私の場合は、、、今のようにほぼ全員顔見知り、、、では無く初めて間もなかった為仲間がいなかった事、無謀であった事、工業船が通らなかったら、、、、
果たして生還できたんでしょうかねぇ?、、、、まあリグは捨てていなかったけど沖にどんどん流されている状況でしたので、暗くなって家族が家に帰ってないって通報したとして、、、夜の海は捜索出来るのか?
まあ結果として工業船の方が発見してくれたおかげで30年後の今も生きています♪
30年前に家に帰った時に食べたラーメンセット。食べながら涙が溢れた。旨かったというより生還できて飯が食える現実に喜んだ。
そして30年後にも食べれる事で「生還めし」を再認識♪
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